ネットで悪口を言ってはいけない理由

雑記
スポンサーリンク

自分の人生を良くしたいなら必須

『インターネット初心者講座』みたいなタイトルになってしまった。

あるいは、誰かに負の感情をぶつけてはいけない理由。と言った方が適切かもしれない。
一応自戒を込めてるが、最近割と過激な意見やカジュアルな悪口をよく見るので。

まずはChatGPTに聞いてみた

ChatGPTくんは下記の5つを問題点として出してきた。

  1. 法的リスク
    名誉棄損とか侮辱罪とかの話。
  2. 精神的健康への影響
    悪口は自分自身を傷つけ、自らに悪影響を及ぼす。今回ブログで書きたいのはコレ。
  3. 社会的リスク
    友人や同僚との関係悪化
  4. インターネットの健全性
    オンラインコミュニティの健全性を損なう。割れ窓理論。
  5. 被害者への影響
    言われた本人が傷つく。当たり前の話。

このうち2は自分で認識することが難しく、及ぼす悪影響も把握しにくいので今回はこれについて書く。

悪口を言うとどうなるか

スッキリします。

あれ?じゃあ別にいいじゃん。と一瞬思うかもしれないが、その裏で実は脳にダメージを負っています。

スッキリする理由は、相手を見下したり、気に入らない部分を指摘することで何かを成し遂げた気分になり、幸福ホルモンのドーパミンが分泌されるからです。
ドーパミンには中毒性があるので次第に悪口が増え、癖になっていきます。

一方で幸福ホルモンだけでなく、ストレスホルモンも分泌されます。
脳は『誰が誰に向けて』という認識が曖昧なので、悪口や暴言を吐くと自分が言われたのと同じくらいのストレスホルモンが出ます。

幸福ホルモンのドーパミンは新しい刺激に対して強く分泌される性質があるため、悪口が習慣化すると分泌量が減少し、ストレスホルモンの分泌量の方が多くなります。

ドーパミンは依存行動を強化し、ストレスホルモンはストレス反応を引き起こし、さらなる悪口や暴言を促すため、いわゆるギャンブル中毒者のような悪循環の状態に陥ってしまう可能性があります。
(※もちろん、それに伴い前述の1,3,4,5のリスクも飛躍的に跳ね上がる)

ちなみに『悪口』と言うと、相手を馬鹿にしたりおちょくったりと、発言者に何らかの悪意があるケースを想定する人が大半だと思いますが、ここでは

『義憤に駆られた結果、建設的で無い、粗野な言葉を使う人』
X(Twitter)で他人が言った悪口をRPする人』

なども含まれます。

ドーパミンは本来こう使う

ドーパミンは中毒性があります。中毒性と聞くとネガティブな印象がありますが、ドーパミンは新しい刺激や予期しない報酬に対して強く分泌される性質があるため、例えば

  • 新しいチャレンジ
    新しいスキルを学んだり、新しい趣味を始めたりすることで、脳に新しい刺激を与えることでドーパミンの分泌を促す。
  • 目標設定
    目標を達成する過程での小さな成功体験がドーパミンの分泌を促すため、短期的・長期的な目標を設定し、それを段階的に達成するために利用できる。

といった自身の成長面で利用することができます。

ネガティブな感情が増幅されすぎるとどうなるか

悪口や暴言を続けていくと、やがて人を恨みやすくなります。
人を恨むと、自分の中でネガティブな感情が増幅していきます。
ネガティブな感情が増幅すると、その感情を持っている状態が自分のスタンダードになります。

ネガティブな感情に浸っている方が期待を裏切られないので安心し、そこから抜け出せなくなります。
すると、ますます悪口や暴言の頻度が増えていきます。

そういった状態が、自分の人生を豊かにする道に続いているわけがないので、
悪口や暴言を吐いた時にスッキリしている感覚がある人は、今すぐに自分の行動を改めた方がいいでしょう。

新しいチャレンジや目標設定といったドーパミンを有効活用する方法より、悪口を言うことでドーパミンを得る方が手軽なので、将来的に自身の成長する機会を自分自身の手で奪ってしまうことになります。

「恨む」といえば『人を呪わば穴二つ』という言葉があります。
これは人を陥れようとすれば自分にも悪いことが起こるという例えなんですが、要は相手だけではなく自分の墓穴も必要になるという意味です。

“ネガティブな感情を持つな”という意味ではない

とはいうもののネガティブな感情が一切無い人なんてたぶんいないと思います。人間関係がある場ではほぼ間違いなくイザコザがあるので、何かしら負の感情を抱くことはあります。

そこで人間には昇華という防衛機制(マイナスな感情を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズム)が備わっています。昇華という言葉にはいくつか意味がありますが、ここでは『ある特定の感情や欲求を社会的・あるいは建設的な方向に使うこと』を指します。

ネガティブな感情にはパワーだけでなくベクトルが存在します。そのベクトルを負から正へと変換してやればいいのです。
しかし、このネガティブな感情が肥大化しすぎてその感情に支配されてしまうと、そのベクトルが重すぎて自身のチカラでは正の方向に向けられなくなります。こうなってしまうと手遅れです。

腹が立った場合はその気持ちを即座に吐き出さず、自分を高めるエネルギーに転換することで昇華しましょう。

昇華のWikipediaにわかりやすい例があるので引用します。

  • 性的欲求が満たされなかった経験を直接異性に向けるのではなく、小説を書く時に登場人物の心理描写に活かす
  • 社会への怒りや不満を社会を直接的に攻撃・破壊するのに使うのではなく、歌詞という作品にして発信する
  • いじめられた体験や感じた苦しみを直接復讐して晴らすのではなく、おなじような苦しみを抱いている人々の話を聴いて理解する仕事に就くこと。カウンセラー、社会福祉士、臨床心理士など
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%87%E8%8F%AF_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)

ゲームの業界の偉い人もこう言うてます。

SNSでよく見られるケース

SNSでよく見られるのは大体こういうケースです。

  • 相手に反論されにくい意見のみをピックアップし悪口や暴言を吐く
    (いわゆるキャンセルカルチャーに近い)
  • 悪口や暴言を誰かに咎められた時に『相手の事を思って言った』『相手の方が悪い』などと他責思考になる
  • 具体性のある意見を一切言わずに、罵倒のみを羅列

1番目に関してですが、悪口や暴言は対象の目や耳に入ると、少なからず何かしらの反論が飛んできます。
一時的にスッキリした気分を味わった一方で、口論や対立が発生することによりネガティブな感情も発生し、正と負の感情が同居する複雑な精神状態となります。
そうなると、認知的不協和による認知のゆがみが発生し、強烈なストレスや不快感を引き起こすことになります。
そのため、そもそも反論されにくい意見を選別することで、認知のゆがみが発生する状況を避け、無意識的にドーパミンの分泌を効率よくしているのだと思われます。
抗議行為(キャンセリング)自体は悪と言えるものではないですが、自己正当化の手段として利用されているケースは注意が必要です。自分の価値観に合わない人々を排除することで、自己の道徳的優位を確認する行動が見られるような場合がそれにあたります。
一見すると対話しているように見えるのですが、実際には周囲や社会の分断を深めています。本人はおそらく良い事をしていると思っているので、悪質度はそこそこ高いです。

2番目の他責思考は企業の人事採用でもよく言われている避けるべきファクターです。
細かく見ていくとある種の程度問題で、適切な場面では原因の切り分けに使えたりするので、一概に他責の全てが悪いというわけではないですが、あらゆる場面で他責思考に大きく偏っている人は内面的な問題を含んでいる可能性が非常に高いです。

3番目は単純で『今、X(Twitter)でこの事案が炎上しているから自分もそれに便乗して何か言ってやろう』というケースが主です。悪質度として低めに見えますが、本人の悪口の頻度が多いのであればそれなりに気を付けた方がいいです。
「こんなこともわからないのか」「企業としてどうなの?」「クソすぎる」等の中身が無いのが特徴です。

私は上記のような人を見かけたら、警戒レベルが2段階くらい上がります。場合によってはすぐに距離を置きます。

あとたまに遭遇するのですが『悪口や暴言がパフォーマンスになっている人』も避けるようにしています。
『悪口や暴言を吐くと自分もダメージを負う』というのは構造上どうしたって防げないので、高確率でエスカレートしていくことが予想できますし、実際に炎上した人を過去にX(Twitter)で何人も見てきました。

“言わない”ことは”我慢する”ということではない

たまに「悪口を言わない」ことを「我慢する」と捉える人がいますが、これは明確にNOと言えます。

人間関係というものが存在する以上、ネガティブな感情を抱かないことはほぼ不可能です。
この理屈で言うと、まったく悪口を言わない人は世の中に存在しないことになります。
あなたの周りにも沢山いると思いますが、悪口を言わない人なんていくらでも存在します。

その人たちは適切な感情の処理・表現方法を知っているからです。

上記でも述べたように感情を昇華する方法もありますし、リフレーミング(状況や相手の行動をポジティブな視点から捉えること)やアサーティブコミュニケーション(自分の考えや意見を攻撃的でない方法で率直に表現すること)もあります。

さっき「恨む」という言葉を使いましたが、恨むの反対は「許す」です。
古今東西、あらゆる著名な人物は許すについて様々なことを記しています。

マハトマ・ガンディー「弱い者は決して許すことができない。許すことは強い者の属性である」
ネルソン・マンデラ「恨みを抱くことは毒を飲みながら、他人が死ぬのを待つようなものだ」
ブッダ「憎しみは憎しみによって止まらない。憎しみは愛によってのみ止む」

などなど…

許すことができる人は強い人であるという考えは、多くの哲学者やリーダーによって共有されています。これは、許しが内面的な強さと深い精神的成熟を必要とする行為であると理解されているためです。

以上

今回、これを書こうかなと思ったのはこの本を読んだ影響です。最近、週1冊くらいのペースで本を読んでいるのですが、以前から感じていたことを、この本はきちんと言語化されていたので個人的に感動しました。
書かれていた内容を(本当にごく一部、0.1%くらい)要約して紹介しました。

Kindle Unlimitedだと無料で読めますので、興味があれば。

コメント

タイトルとURLをコピーしました